けんこうニュース*湧言飛語
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■-*-*-*-*-*-*- 涌言飛語(コラム集) -*-*-*-*-*-*-■

1995年〜2000年




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1995年1月  1号   院長

南足柄市に福祉・保険センターの構想があるが、格好づけになにか、高度医療機器を備えたらしい。機械が入っても動かす人がいなければ無用の長物となってしまう。

今は“何といっても健康第一”いのちがなくとも健康第一ということだが、健康のためにといって始めた運動・食事療法で病気になる人も多い。“何のために”やっているのか、よく考えたい。

こう言っている私自身もテニスでよく痙攣をおこしている。
何のためにスポーツ医学を勉強しているのか?

“何のために”ということは以外と分かっていないことが多いようだ。

1995年3月  2号   院長

関西大震災、とうとうやって来た。こちらはいつ来るか・・・
関東大震災なみの地震が来たらどうなるのか、しろうとの想像とほぼ一致するのではないか、行政はもっと軽く考えていたようだ。

地震対策を見ていてつくづく感じる。
私たちはこれまで行政におんぶしすぎて来たようだ。
自分自身の生き残り対策は自分自身で考えるべきだ。

水の確保が一つのポイントミネラルウォーターを備蓄してもたかが知れている。
濾過器が必要だ。
水槽用のフィルターが使えないか、
自動的に止まったプロパンガスの安全な利用の方法を知っているか。
非常時の電気器具の取り扱いは?
自分のことは自分で考える習慣をもう一度確かめたい。


1995年5月 3号   院長

円高・ドル安がどんどん進行し、日本は儲かっているはずなのに、国民の生活が楽になったという実感はない。

サリン事件・銃によるテロ事件の発生など、なにか物騒な世の中になって来たような気がする。

ここ2〜3年の日本の政治情勢には激変がおこっている。今回の統一地方選挙にもハッキリ現れてきた。

明治以来の“富国強兵”策が戦後には“富国強企業”策に変わって結局同じ事が続いてきた。
「バブルがはじけた」などと他人事のように言っているが、すべてが転換期にきていることを示している。
ここで大転回を計らないと日本人は、いつまでも豊かにはなれない。

1995年7月 4号   院長


大雄山腺の電車に乗るたびに駒形の台地の繁みが気になっていた。つい先頃、ほとんど消失してしまった。この分では、向田や生駒の繁みも時間の問題か・・・

南足柄市は雑木林を伐り開いて公園を造って来た。そこにうえられた木は、それまでそこになかったものが多い。
自然をうまく残しながら公園化はできないものか・・・。

狩川に鯉を放流しているがこれも自然破壊だ。自然の川に緋鯉が泳いでいたりしては様にならない。

狩川の左岸を公園化する計画があると聞くがまさかコンクリートで硬めるつもりではないだろう。

周囲の自然と土の軟らかさを楽しむ安全な、散歩道やジョギングコースがほしい。

1995年9月 5号   院長

今年の夏は、特に暑かった。
来年のオリンピックを開催するアトランタはもっと暑いらしい。そんな所で夏にスポーツ大会を開催するのは気違いじみている。

甲子園の高校野球は、今年は一回も休みなく終了した。
スポーツ医学関係者の中には「これがあるかぎり日本のスポーツの質は向上しない」との嘆きの声が高い。以前ほどではないようだが日本中を沸かせているのは、新聞とテレビだけかもしれない。

スポーツは何のためにやるのか、国や地域の名誉のためか・・
そういうことがあるにしても、基本的には、「健康のために良い」という要素がなければならないと思う。

こういうことを続けていると、健康のために科学的にスポーツをするという目的から、ますます遠ざかって行く気がする。

1995年11月 6号   院長

医師会の委員会で夜間救急の問題が討議された。
医師会もメンバーが少ないので毎日の夜間診療所の開設は大変だが、どうしても必要ということを市町側に主張しつづけて来ていた。

自治体側は「住民よりの要望がない」と答えている、ほんとうにないらしい。どうしてか?
町長・市長は住民の要望のないものに多額のお金をかけられないといっている。

夜間休日診療所内の会議室で会議をしていると「熱がありますがみてもらえますか」という電話がよくあります。「救急病院か小田原の夜間診療所へ」と答える情けなさ・・

救急病院は本当の救急だけにしてくれ、一般の発熱、下痢などまでこちらではとてもやりきれないと言っている。

南足柄市は福祉センター内に立派な機械を置きたいらしいが、それよりも夜間の一次救急(夜間診療所)の方を優先してもらいたい。

1996年1月 7号   院長

インフォームド・コンセントという言葉を時々耳にし、話題になります
「説明と同意」と訳しますが、医者が患者さんによく説明し、内容を理解していただいて、同意を得て検査や治療をするということです。

医師に義務づけているのですが、同時にその結果については患者さん自身も責任を持つことを意味しています。

このやり方を日常生活のあらゆる方面で活かしてゆけば、いじめの問題、金融の問題などすべて解決してゆくような気がします。

学校の問題、金融の問題、すべて問題点をハッキリさせ、解決については、本人の自主性を重んじていれば、自から解決がつくと思われます。問題点を曖昧にしたまま、
理由の分からない指導などでするので、問題を難しくしているようです。

1996年3月 8号   院長

これまで、日本では社会も産業も、規格化された、力の強い人達が、集団として活動することにとって力を発揮し、繁栄してきました。

戦国時代に信長や、秀吉に採用され、効果を上げた戦争のやり方ですが、世界的にも近代以後の戦争の常識となっています。

明治以後はこれがそっくり産業界にも持ち込まれ、日本の高度成長を達成しました。戦争の方法が一般社会に持ち込まれることによって、病人やハンデを持つ人々は「足手まとい」として、差別されて来ました。

これからの日本は、高齢化社会に入ることもあり、いろいろな力を持ったすべての人達が、自分の持てる力を発揮して、その総合力で、社会を支えて行かなければならない。

これが分かれば、おのずから「いじめ」「差別」など無くなって行くだろう。

1996年5月 9号   院長

お互いに信頼を深めよう

この三月より県医師会の医事紛争特別委員会に任命されました。
毎月第一火曜日午後、20件位の<もめごと>の処理について討議しています。

明らかに医療ミスと考えられるものもありますが、ほとんどはお互いの感情のもつれから<もめごと>となっています。

お互いの話し合いが、もう少し深まっていればと悔やまれるものが多いようです。医療の現場では、患者さんはどうしても受け身になってしまいがちなので、診療側の十分な配慮が必要と考えられます。

とにかく、普段からお互いに良く話し合い、診療を受ける側も、する側も相手の考えをよく理解した上で医療をすすめていきたいと思います。

1996年7月 10号   院長

同じ目の高さで

十年以上も前のことになりますが、プライマリーケア学会が発足して間もない頃、診察室で、患者さんと医者とは同じ目の高さにならなければ・・・ということがテーマの一つとなったことがある。

それ以来、この問題を考え続けてきた。<同じ目の高さ>というだけではだめだ。
<同じ椅子>にしようと考えついた。

医者と患者さんが同じ椅子といっても、医者の方は2〜3時間同じ椅子に座って仕事をする。患者さんの方はほとんど数分座るだけ、しかも診察しやすくなければいけない。

現在使っている椅子は、事務用椅子の少し高級なものであるが、これでほぼ満足している。患者さんの側からご意見はいかがでしょう。

1996年9月 11号   院長

日本の感染症対策

日本の感染症に関する対策は明治30年に定められた。伝染病予防法を根底にしています。コレラ、赤痢、チフスなどの急性伝染病お流行に備えたものです。

法律ができた当時は警察の管轄だったので、国家強権的で、患者の人生などは全く考慮されていませんでした。

このことはエイズ対策の時に問題となりましたが、結局は、抜本的法改正は行われませんでした。これがまた、O-157の問題で表面化して来ました。

基本的人権に注意を払いながら、感染症対策をする技術はすでにありますが、行政や政治家は、法律や規則を作ることによって面倒なことを避けようとしているのです。

1996年11月  12号   院長

在宅ターミナルケア

最近感動的な体験をしました。その患者さんは、今年4月に癌と診断され、手術をしましたが、とり切れませんでした。

9月に入り疲労がひどくなり、在宅ケアに切りかえました。1カ月位のうちに血圧が下降りしはじめ、臨終も間近いようになりました。

いよいよダメかという時に、家族が代わるがわる患者さんの耳元で、大声で呼びかけていました。かすかに眼を動かし反応しているようでした。そうこうするうちに、手足を少しづつ動かしはじめました。いったん出て行きかけた魂が再びもどってきた様な感じでした。

在宅ターミナルケアは、医療スタッフにも感動を与えます。5時間後、しずかに息を引きとられました。

1997年1月 13号   院長

昨年は厚生省や大蔵省など、お役人による不祥事が続きました。特に厚生省がひどかった。製薬会社の利益を守るため、病人を犠牲にしたり、老人保健施設の建設で賄賂をもらったりという事で、全く信じられないような事が起きていた。

どうしてこんな事が起こるのか?これまで私達も、大蔵省や厚生省、農林省などがあって日本をうまく成長させて来たと思っていましたが、このところ失敗続きです。

お役人が悪いだけでなく、この全体的なやり方が、そろそろ日本の国に合わなくなって来たように感じます。

特に医療、福祉の方面は、全く社会主義的に運営されています。ですから役人が悪いとすぐ問題が大きくなるのです。自由経済の中に一部だけ、社会主義を持ち込もうとすること自体がまちがいです。

1997年3月 14号   院長

がん検診は、無意味か?

「がんとたたかうな」という本が出て以来、がん対策についていろいろ意見がでている。

この本の内容は、半分位正しいと思う。
がんの手術にしても、うまく行くものだけやって、難しいものは無理をしない方が良いと考えている。

またがん検診についてもそうで、意味のある物については積極的に行い、そうでないものは、方法を改めるべきだ。

胃がん、大腸がん、子宮がんなどの成績は、かなり良いが、肺がんは、CT検査を主とするべきで、乳がんについては、すべてレントゲンによる方法にするべきだろう。

これがそろえばがん検診はかなり有効なものとなるだろう。

1997年5月 15号   院長

病気は医者が治すのか?

「医者はその手助けをするだけだ。」とよく言われますが、私達内科医の分野ではそういうことが多いようです。

この「手助け」というのがなかなかむずかしい。ついつい指導とか教育などといった感じになってしまう。下手をすると強制、おどしになりかねない。

市川さん宅でフォルクローレのコンサートに参加させていただいた時、この演奏家は市川さんの心を深く捉えているのが分かった。

接触の機械が多い私よりもずっと深く心の中に入り込んでいる。こういう身体的にむづかしい条件におかれている人達と心の交流を持つには、もっと細かい心づかいが必要なのだ。

患者さんと心の交流なくしては、治療の手助けなど、とてもできない。

1997年7月 16号   院長

レセプト開示

6月25日の新聞に、厚生省がレセプトを開示するよう指示したと大きく報道されました。
レセプトとは、私たちのような病院や医院が患者さんの医療費を社会保険組合や国保組合に請求する請求明細書のことです。

これは、これまで患者さん本人の要求があっても見せないことになってました。病名が分かってしまうということが主な理由でした。
しかし、最近は医療関係でもいろいろトラブルが多くなって来ました。そういう時に、レセプトを見たいと申し出があった時にはみせなさいということなのです。

自分の診療内容を自分で知るということは大切なので良いことなのですが、現状では問題も多くかえってトラブルを増やすことになりかねません。

1997年9月 17号   院長

保険制度の改訂

こんどの保険制度の改訂により、患者さんが医院、薬局で支払う額が高くなりました。しかも厚生省は、もっと上げる案をすでに公表しています。財政破綻などといっていますが、切り上げられた消費税はどこにいったのでしょうか?

消費税の創設の際には福祉にお金がかかるからと言っておいて、消費税を増税した矢先に、患者の医療費負担の増強を打ち出すなどまさに信じられないことが起きています。

昨年、1年間続いた一連の厚生省の不祥事の国民に対するお詫びがこういう形で示されようとは・・
橋本首相が厚生族ということで強気になっているのでしょうが、あまりにもひどい厚生省のお役に良心のひとかけらもあるのでしょか。

1997年11月 18号   院長

医療・福祉に積極的に

株価下落、金融不安、景気の低迷が続いています。こんな中で、政府や自治体は医療や福祉への出費を減らし、個人負担を増す方向の政策をとっています。

これまで不況対策として土木事業、建設や設備投資が行われて来ましたがこれからは効果が期待できません。

この時点で、また今後必要と考えられるのは高齢化社会への対策、環境保全のためのリサイクル事業、省エネルギー対策などではないでしょうか。
日本社会が大量消費型の社会から省エネ型社会に移行しつつあるのです。

医療福祉事業、リサイクル事業、省エネに関する事業を発展させることを軸にして少しづつでも日本の経済を改善して行かなければなりません。

1998年1月 19号   院長

コンピューターの活用

この2〜3年で、当院のコンピューター化はかなり進んできました。この新聞の製作もコンピューターを使ってすべてが院内で行われています。

インターネットを使って奥津医院の情報を全国に流すこともやっています。これから電子カルテを導入しようと考えています。

コンピュータールームをうまく使うことで、日々の診療のレベルアップができます。新聞を通して、また診療内容を医師と患者さんが共有することによって、お互いの医師の通じ合った診療をすることができるようになります。

現在は、まだまだ医師の側からの発言ばかりですが、患者さん側からのご意見を新聞や、医院のスタッフまでどしどしお寄せ下さい。当院はみなさまにとってますます利用価値の高いものとなってゆくことを目指しています。

1998年3月 20号   院長

厚生省の政策はひどい

このところ厚生省が打ち出してくる医療政策はひどいものばかりだ。とにかく医療福祉にお金をかけないことだけを考えている。

健康保険の患者負担、介護保健法成立、休日急患診療所への補助金カット、各種がん検診への補助金カットなど、前後の見境なく、国からの医療への支出を減らしている。

消費税導入の際には、将来の医療福祉にお金がかかるから、というのが理由だったはずだ。
消費税5%にアップさせていながら、大事な事業に対する補助金を軒なみカットするとは考えられない暴挙だ。

介護保険についても、これまで国が保障して来た部分を対象者自身がお金を出し合って下さいというものだ。

つい最近不祥事が続いた厚生省にどうしてこんなひどい政策を打ち出すことができるのか

1998年5月 21号   院長

問題の多い学校スポーツ

日本はスポーツをする人の数やスポーツ施設の数などは世界でも有数な国だと思う。その割にオリンピックの成績はあがらずプロスポーツ選手で世界に通用する者が少ない。

運動選手の進路を決める上で重要な時期である中学校、高校の運動指導が学校で行われているところに問題がある。素質を良く見て、その人に合った運動に導き、上手に育て上げるということは、片手間でできる仕事ではない。

中学校や高校にいる間に良い成績をあげようとして、無理な練習を重ね体を痛め運動ができなくなる人が多い。

日本選手がプロとして活躍している部門は、水泳やテニスのように学校ではなく、クラブに入り専門のコーチの指導を受けられるものに多い。

学校でのスポーツを考え直す時期にきている。

1998年7月 22号   院長

話合を十分に

現在県医師会の医事紛争委員をしています。医師と患者さんの間のもめ事の仲裁をしています。

また足柄上医師会のインターネットを通じた医療相談を担当しています。このごろは、かなり頻繁に相談がきます。

こういう場面で問題となるのは、ほとんどが医師と患者さんの間の話し合いが充分でないことです。

確かに医師として分かり切っているようなことを何度も聴かれるのは面倒な感じもありますが、お互いの理解の上でないと良い医療はできません。分からない事、説明して欲しいことは医師によくきいて下さい。

お互いに相手を信頼していないと治る病気も治りません。

1998年9月 23号   院長

北欧の考え方

この夏、フィヨルドを見たいということで北欧に出かけました。まったくの観光旅行だったのですが、行く先々で、その国の傷害者や老人に対するあたたかい心づかいを感じました。

街の中や、建物の中にも、スロープや、エレベーター、車イスの運搬器具などが備えつけてありました。また年金生活者のためのアパートなど立派な建物でした。そのせいか、車イスの人達や老人の姿を、街中や観光地で良く見かけました。

こういう人達が外出したい時に、付添人がついてくれる制度があるのだそうです。また、こういうための諸経費は税金からまかなわれているということでした。

日本よりも産業の少ない国で、このようなことができるのです。日本からよく政治家やお役人が視察に来るそうです。その成果はどうなったのでしょう。

1998年11月 24号   院長

介護保険

平成12年度の介護保険制度実施に向けてそのテスト運用が始まった。
この制度は、介護保険料を徴収して、その中から全国一律な水準の介護を行うことをめざしている。

現在、介護サービスを行っている患者さんに、その基準をあてはめてみると、同じ程度のサービスを行っている患者さんについて、もっと多くサービスをするように評価される人と、もっとサービスを減らすように評価される人が出てくる。

当然のこととも言えるが、この評価をあまり勝手に変更しないようにというのが厚生省の注文だ。

南足柄市の場合、一般に現在行われているサービスより受けられるサービスが減ることになりそうだ。保険料を徴収された上に、サービスが低下したら、どうするのだろう。

1999年1月 25号   院長

カルテ開示

厚生省は医療機関に対し、患者さんに本人のカルテを見れるようなシステムを作るような指示することを検討しはじめている。

たしかに大切なことだが、カルテを患者さんにわかるように書くには、かなりの時間と労力を必要とする。

カルテやレントゲン写真などの診療の資料を患者さん本人に渡してしまえば、医療機関としても保存の必要がなくなるので大いに助かる。

こういうことをスムーズにしかも問題が起こらない様に実施するためにはコンピューターを利用するしか方法がない。

コンピューターのプログラムをうまく作ることによって患者さんにも分かりやすい、医者に便利という電子カルテを作らなければいけない。かなり難しい仕事だ。

1999年3月 26号 院長

公共と民間

南足柄市は新しい保健センターをつくりその中で住民の検診を行おうとしています。高価なレントゲンの機械などを備えつけて、現在、医療機関で行われている程度の検診を集団検診として行おうとしています。

すでに市内にいくつもある機械を税金で買う必要はないと思います。市の関係者は市民にいろいろな検診の機械を与えるのは、市の責務だと言っています。

すでに市内に多く医療機関がその体制を整えている中に、集団検診の場を作り出すという理由で、市が新しい建物を建設し高価な機械を整備するというのは、公共の名をかりた民間の圧迫としか言えません。

多くの自治体で集団検診は止めて、検診を医療機関に依頼している時に南足柄市だけが逆行しています。市長が公約を実行しているのだそうです。

1999年5月 27号 院長

音楽の力

ホームコンサートで紹介した市川さんが病院から退院された時には、食事は鼻からのチューブでとり、尿は膀胱からのカテーテルでとっていました。

自宅での療養になると本人や家族の努力でチューブやカテーテルが必要なくなりました。大きな進歩と喜びましたが、目ばたきと文字板で「し・に・た・い」などと言うこともありました。

この頃、友人のお骨折りで、アルフォンソ・正田さんがきてコンサートを開いてくれるようになりました。音楽会での感動を共にできたのが良かったのか、市川さんと周囲の人達の心の交流が非常に良くなりました。

今回のコンサートでは市川さんは最初から着替えをし、ずっと車イスに座ったまま楽しんでいました。最後に正田さんが一緒に唄いましょうと声をかけるとありったけの声を出して音楽に合わせていました。
音楽の力に驚いております。

1999年7月 28号 院長

介護保険の問題点

保険料の徴収
介護保険の保険料はいくらになるのか2,000円〜3,000円程度という所や10,000円以上というところなどいろいろになりそうです。
いくらになったとしてもこれを徴収するのは大変な仕事です。

全国で同じレベルのサービスができるか
自治体の規模、財政状態、年令構成などにより、保険料が変わって来ることは、仕方のないこととされていますが、ほとんど同じような理由で地域ごとに提供できるサービスの内容はかなり違ってきてしまうようです。

事務的なことに費用がかかりすぎる
保険料の徴収、介護度認定審査会、ケアプラン作成などにかかる費用も多く、対象者のサービスに実際使えるお金が目減りしてしまいます。
消費税を介護保険の財源として国でサービスを実施すれば問題は少なくなります。

1999年9月 29号 院長

救急出動

9月1日、9月5日と南足柄市では、今年は2度も防災訓練が行われる。災害時の組織だった行動について日頃から十分訓練しておく必要がある。

こんどの玄倉川の事件では、警察、消防、自衛隊が出動したが、救助、捜索活動の全体を把握している人がおらず、お互いに別々に行動していたということだ。
たまたま、医者の詰めている救護所の近くにヘリコプターが降り、被害にあった子供を運んで来たので子供を診察した医師は当日休日ということもあり自分の勤務する病院へその子供を送った。しかし、この時別のルートから待機を依頼された別の病院があり、被害者がこないので不審に思っていたということだった。

災害の折には頼りになるのは、この消防、警察、自衛隊だろう、命令形統がまったく違う三者が共同活動するのはむずかしいだろうが、非常時のルールを決めておく必要がある。

1999年11月 30号 院長

ネパール

10月の終わりの1週間、ネパールに行って来ました。

平野部は一面田んぼで、稲がよく稔っていた。広くひろがる田んぼの中を家族4〜5人で鎌だけを使って稲刈りをしている。

病院見学したが、日本のものと比べるとかなり見劣りがする。保険もないので、病院にかかれない人が多いらしい。日本人の医師や看護婦も働いていたが、仕事は大変らしいが、やりがいを感じているようだった。

カトマンズの街は自動車の轟音とクラクションの音で満ちていた。自動車が勝手に走り回りその間を人々がまた勝手に横断してゆく、危なくて見ていられない。

しかし、物価は安いし、人の好い人々が多く、子供達の反応も素直な感じで、日本人には親愛感が強いよう。すこし馴れると居心地の良い場所となり、クセになりそうな感じだ。


2000年1月 31号 院長

2000年を迎えて

 〈バブルがはじけた〉
バブルがはじけたと言われて、すでに10年近く経過しています。
 バブルがはじけたというのは、それまで日本でやって来た経済体制の無理が効かなくなり崩壊したということでした。

 〈経済体制は変わったか〉
銀行をはじめとして、各会社など、いわゆるリストラがすすみ、かなりの変化が起こっています。
 日本の特徴であった、学歴、年功序列の制度は崩れ、能力、実績が重視されるようになってきました。

 〈行政機構のリストラが必要〉
税収が減っているのだから、それに見合った、行政機構を作らなければ赤字が増えるだけで日本経済はもう1度パンクしてしまう。
そんなことになるとこんどは回復が大変です。

2000年3月 32号 院長

どうにか実施出来る介護保険

4月の介護保険実施に向けて、準備がすすめられている。これまで足柄上地区では介護サービスをうける予定者の2/3以上の要介護認定を終えた。

それにもとづいて、ケアプラン(どんなサービスをどういう風に受けるか)を決めなければならないが、この方への申込みが、はかどっていない。

介護保険が実施されることによって介護サービスを受けたいというニーズが掘り起こされ、訪問介護、ヘルパーなどの仕事がふえると考えられます。

これに対し、この地区では、ケアマネージャー訪問看護婦、ヘルパーなどは足りているが、在宅リハビリに必要なPTといわれる人達の数は全く足りないということです。


2000年5月 33号 院長

置賜さくら回廊

4月末の2日間、山形県米沢に行って来た。米沢は小田原の北条祭りのように上杉祭がはじまっていた。城址の堀の周囲の桜は見事に満開だった。

その夜赤湯温泉に泊まり翌日桜見物をしようとフロントで聴くと、置賜さくら回廊を巡ったらどうですかとすすめられた。

米沢市と山形市の間の地区を置賜地区というが、その地域の有名な桜の古木や桜の名所をぐるっと見てまわれるようになっている。

スタートの赤湯の烏帽子山千本桜はちょうど満開ですばらしかった。
最後の久保の桜は日本最古の桜ともいわれるだけあって堂々とした風格の古木だった。雪山を背景に見る桜は華やかさ一段とはえる様だった。


2000年7月 34号 院長

アドベンチャープロジェクト

南足柄市のグリーンサービス社の経営しているアドベンチャー・プロジェクト事業については、かねてより話は聴いていたし、テレビで報道されたこともあり、内容は承知していた。

簡単なゲームのあと、会場に投げられた鳥居のような形の高い木数10メートル位のものに登り、横に渡された木の上を歩くというものがはじまった。もちろん命綱をつけているのだが、とてもできそうにないように感じた。

高い木に設けられた台の上から跳んで空中のブランコにつかまるというものも、最初の2〜3人は難しかったが見ているうちにできそうな感じがしてきた。

とてもできそうになかったことに挑戦したくなる。こういう経験をすることが教育の原点なのではないかと深く感じた。よい経験をさせていただいた。


2000年9月 35号 院長

災害時救急体制

9月2日、上郡5町で、9月3日南足柄市で防災訓練が行われた。災害時どのようにして広域避難場所まで避難するか、避難した人達がそこで、どういう風に過ごすかが主な訓練目的となっている。
災害時の救急医療はどうなっているのか被災者が出たとき、災害対策本部が設けられ、その指示で、救護所が設置される。被災者は避難場所から、救護所に移り、そこで手当てされ、重傷者は後方病院に送られることになっている。

災害が起こり、指示や連絡がうまくゆかない時、この方法で、病人やケガ人を助けることができるか、広域避難場所に避難して来た人達が、そこでは応急処置もできないと分かったときどうなるのか、医師会では各広域避難場所に救護所を設けるよう提案しているが、反応は鈍い。


2000年11月 36号 院長

一般病院と専門病院

横浜市二俣川にある県立がんセンターを見学してきた。

まず、玄関がこじんまりしていて、ほんとうにこれがガンセンターの正面玄関なのかと疑ったほどだった。
また、全体にゆっくり動いているようで、職員もバタバタしていない感じが良かった。検査室、手術室もあまり大きくなく、患者のとり違えの心配などなさそうだ。

食事時間も一般家庭と同様になっていて、入院患者さんの生活のペース崩れないよう配慮されていた。私が想像していた、病院のあわただしさが感じられなかった。
これはがん専用施設ということと紹介患者のみを受け付けるというシステムからなりたっているように思われる。


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