ターミナルケア文集
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神奈川県医師会報(平成2年7月10日)

◆指標◆


1,ターミナルケアを在宅で

足柄上医師会  奥津紀一

-はじめに-

ターミナルケアとは主としてがんなど患者さんを看とる事を言います。
ターミナルケアの行われる場としては、病院やホスピスが想定されていることが多いが、家庭で行えれば、最も理想的な姿と考えられている。
さいわい、足柄上地区では、在宅のスペース、家族構成、近隣との関係など、都市に比べ、この問題に有利な点が多い。また、訪問看護の制度が定着してきたことも加わって、この問題に挑戦する気運が芽生えてきました。

-ターミナルケアとはなにか-

あるホスピスの医師は、「ターミナルケアの目指すものは、末期がん患者が、その人らしく生を全うできるよう援助することである。キュア(cure)できなくとも、ケア(care)できるという精神が大切である。」と述べているが、これは、がんに限らず、老衰、その他の慢性患者にもあてはまるものである。これまで一般に、医師は、予後不良と判定すると、患者の診療に熱意を失う傾向にあったが、その反省を込めた言葉と考えている。

-ターミナルケアがなぜ注目されてきたのか-

(1)対象者の参加・・・老齢者人口の増加、急性疾患による死亡の減少により、対象者の増加が著しい。

(2)医療費の問題・・・総医療費のかなりの部分が、患者が死亡する数日間に使われているという統計があり、医療費削減のターゲットとなっている。厚生省などによる“在宅医療”というかけ声の中には、安上がりの医療への意図が強く、この点には十分な注意を要する。

(3)患者のquolity of lifeや「尊厳死」を考えるようになった。
これまで、医療は救命、延命を第一とし、われわれはこのために努力を重ねてきた。
医療技術は大きく進歩し、患者管理の面でも、大きな成果をみた。しかし、同時に、植物人間化したまま、命を永られる者や、身体に種々の機械をつけ、あちこちからチューブを入れられ、ろくに家族と顔を合わせることもできないまま、死んでゆく者が多くでてきた。「私は、こんな死に方はしたくない。」と考える人が多い。こんな状態での延命に疑問が湧いてきたのである。

-老衰者に対するターミナルケアの例-

86歳、♀、若い頃より病気がちであったが、大した病気はしていなかった。5〜6年前より半分寝たきりの状態となり、2週間に1回の割で定期的に往診していた。昨年1月、腰痛を生じて以来、全くの寝たきりの状態となった。褥創も出てきたので、訪問看護婦を依頼した。5月には、生への執着が急に薄れたようで老衰の度を強め、ボケも進んだ。家族と話し合い、「在宅で看とる」と方針を決めた。往診の回数は多くなったが、疼痛や感染に対する治療を主として行い、延命を目的とした、輸液や酸素吸入はやらなかった。8ヶ月で死亡。

-老衰者のターミナルケアについて-

10年も前であれば、ごく普通のことかも知れないが、入院させることもできる状態にありながら、“本人のため”ということで、自宅で看とるということは、医師にとっても、家族にとってもかなり勇気の要る選択であった。しだいに老衰の度を強め、ボケも進行した老人が、生きることへの意欲を失った場合など、できるだけ自宅で、できるだけ自然に死んで行けるよう計らうべきではないかと思う。親類、縁者多数が静かに見守る中、息を引き取る瞬間には、長かった人生の幕引きにふさわしい厳そかな雰囲気を感じた。

-がん末期患者のターミナルケアの例-

56歳、♀、乳がん、5年前、当院にて診断。すぐ転医、入院の後手術。以後順調であったが、昨年3月、多発性の骨転移が起こり、通院困難となり、私の所へ戻る。定期的往診開始と同時に、訪問看護婦を依頼、対症療法を続けたが、本年4月疼痛強くなり、入院、約2週間で死亡。

-がん末期患者のターミナルケアについて-

がん患者のターミナルケアは、患者が比較的若い、ボケがない、疼痛の強いこと、などの要素があり、老衰者に比べ、数段むずかしい。家族の負担は全く大変であるが、その意義は大きい。患者にとって、家庭で療養できることは、この上もない喜びである。

がん患者のターミナルケアでは、疼痛の緩和が大切な意味を持つが、麻薬にも、注射、経口、液、坐剤、貼付剤など種々の剤型のものが揃い、その他の鎮痛剤、向精神薬などと組み合わせることによって、ななりの効果が期待でき、この面ではホスピスに近い成果をあげることができるようになってきた。
しかし、ターミナルケアのもう一本の柱である精神面でのケアについては、話を良く聴いてあげるよう心懸けるという段階で精一杯であった。

-在宅でターミナルケアを行うには-
(1)介護者に対する支援・・・介護者の肉体的、精神的負担は非常に大きい。これを軽減するため、医師、看護婦、保健婦などの他、ケースワーカー、ホームヘルパーなどが、一つのグループとなって支援する必要があるが、今後は、ボランティアの参加が不可欠なものと考えられる。
(2)患者に対する精神的支援・・・ターミナルケアという言葉の中には、患者への精神的支援の要素が多分に含まれている。“患者が不安なく逝けるように”ということなので、大変にむずかしい。患者の心に懸っている現実的な問題については、ある程度解決してあげることも可能であるが、“死後の世界に光明を見出す”という。非常に宗教的な面での援助には困難を感じている。

-地域におけるターミナルケアグループ-

先に述べた宗教的課題のためにも、がんの告知と、その後の精神的支援のためにも、ターミナルケアについて、真剣に考え、研究し、行動する人達をできるだけ多く集め、グループを作らなければなりません。そのグループ内で研鑽を重ね、一定のレベルに達して、初めて行動が始められるのではないかと思います。
わが国においては、人々の宗教観の違いが大きいので、それを超えてこの事業を推進することは、地球における、新しい文化の創造に連がる意義があると思っています。



神奈川県医師会報(平成10年3月号)

◆指標◆


2,人生のフィナーレに感動を
-在宅ターミナルケアに感ずること-

足柄上医師会  奥津紀一


今にも息を引きととろうとしている祖母の耳もとで「僕もガンバルから安心してね」などと口々に呼びかける高校生の孫達、夫、子供、周囲の人達にいろいろなメッセージを残して逝った40才の母親、協力して一生懸命介護にあたる家族達。
死を前にすると人々は、皆純粋な気持ちになってゆく、こういう中で病人が少しでも楽に過ごせるよう協力する人達、周囲の気遣いに感謝しながら生をまっとうしてゆく人達、この真心からの交流は、ターミナルケアに近づくにつれて高まって行き、やがてフィナーレを迎え、後には、快い達成感と解放感が残る。ターミナルケアがうまく行くと私たちケアチームもやりがいを感じ、心洗われる思いがする。

在宅ターミナルケアの現場

ことしの1月は私にとって、大変忙しい、また意義深い月だった。
関東地方に大雪のあった頃から、在宅医療の患者のなかで容態が悪化するものが多くなり、1月11日夜から12日朝の間に3名、13日朝1名、16日昼1名、24日に1名死亡した。1ヶ月の間に6名、通常の年であれば1年分の死亡を1ヶ月で経験したことになった。

在宅ターミナルケアのすすめ方
在宅ターミナルケアの対象者には、大別して2つのグループがある。当院でターミナルケアを行った患者の統計をみると
ターミナルケア実施患者(47名)(平成4年4月〜平成10年1月末)
悪性腫瘍によるもの・・・10名
老衰、脳卒中その他・・・37名
ということで大部分(3/4)は、脳卒中や老衰で在宅医療を続けていたものが老弱を強め、ターミナルケアに至るもの、その他の約1/4の人は、悪性腫瘍で、病院から退院すると同時にターミナルケアに入るもの。この悪性腫瘍のグループに在宅ターミナルケアの意義を強く感じる。

@オリエンテーション

在宅でのターミナルケアは、自宅という患者にとって最も居心地の良い場所で、家族、知人に囲まれながら、看とりを行うとことで、本人が快適に過ごせるということを主な目的としている。われわれケアチームは、そのサポートを充分に行う用意のあることを患者と家族に良く説明する。患者が急死したり、朝起きたら亡くなっていたなどということが起こっても、それは、むしろケアがうまく行ったことになるのだということも話し、家族が不安なく介護できる状態を作りだすようにする。
悪性腫瘍の患者の場合は、病名の告知がしてあることが大切で、告知されていないと最後まで嘘をついてゆくことになり、患者と周囲との真心の交流は起こらず、在宅でターミナルケアを行った意義がほとんど失われてしまう。

Aターミナルケアの実施

一般の在宅ケアと変わりなく、医師、看護婦(医院)訪問看護婦(市の訪問看護ステーション)、保健婦、ヘルパー(市の社会福祉協議会)が一人の患者毎のチームとなり、家族と共にケアにあたる。医師の往診は1回/週程度で、疼痛寛和、補液、種々のカテーテル管理、褥創の予防、処置などが主な仕事となる。

B臨終時

臨終が近くなると日に数回往診することも出てくる。臨終時には医師、看護婦が立ち会う。その後家族、親戚に経過を説明し、家族の労をねぎらう。また、死後の処置などの役割分担をはっきりさせておくことも必要なことになる。

在宅ターミナルケアの意義

患者にとって自分のなれ親しんだ環境の中でターミナルを迎えることは、誰もが望んでいることで、睡眠、食事など気ままにできることも大きな恵みとなる。

家族や友人と濃厚なコミュニケーションがとれることが重要な意味を持っている、死にゆく人々にとって孤独が最も恐ろしく、辛いことだといわれている。

病名の告知を受け、ターミナルケアに入ると、最初はとまどいが強く無気力状態となる者が多いが、次第に気持ちが落ち着いて、心が開かれて来る。死期が迫ると更にみがかれた感じとなって、周囲の者と心が通い合いすばらしい時間を持つことができることが多い。


在宅でターミナルケアを行うことは、家族にとって大変な負担となるが、亡くなってゆく人と心が通じ合えたということと、できるだけのことをしてあげることができたということから達成感や満足感が生まれる。
ケアスタッフにとっても患者や家族と共に喜び、悲しみ、生死の問題を考えながら、ケアを行う間にいろいろ学ぶものが多い。良いケースを積み重ねながら、ターミナルケアをより質の高いものへと創りあげてゆくことができる。


在宅ターミナルケアの提起するもの
-医療の新たなる分野の展開-


これまで、私たち医師は「患者の死」を病気に対する医療の敗北と考えてきた。患者がターミナルステージに入ったと感ずると、スタッフの診療意欲が急速に冷めてゆくことが多く、ターミナルケアは医療の跡終末的に考えられる傾向にあった。

ここ数年、ターミナルケアに本腰を入れて携わってみると、この中に大きな新しい医療の分野の存在することに気付いた。
医療は「生命を維持すること」をテーマに展開され発展してきたが、ターミナルケアにかかわることによって、「死を迎える」をテーマにした医療が必要であり、これをとり上げることによって医療の世界の幅を広げ、深みを増やすことができると感じている。

奥津医院の在宅医療の統計

当院(奥津医院)の在宅医療の統計(平成4年4月〜平成10年1月末)
従来よりの往診診療から在宅医療に変えて10年近くになるが、在宅医療が保険診療上位置づけされた。平成4年4月よりの統計をまとめてみた。

在宅医療実施患者総数 82名
他院入院中 5名
死亡 47名
在宅医療より離脱(軽快) 5名
現在在宅医療実施中 25名
死亡患者(47名)
在宅で死亡 28名
病院など施設で死亡 19名
悪性腫瘍によるもの・ 10名
老衰、脳卒中その他 37名



神奈川県医師会報(平成10年10月10日)

◆指標◆

3,ターミナルケアをデザインしよう

足柄上医師会  奥津紀一

しばらく振りで、Mさんが夫人と共に来院された。
「先生、私のターミナルケアをお願いします。」
「どうしたのですか、お元気そうじゃないですか。」
「以前から更に血がまじることがあったのですが、痔だと思っていました。肝臓が腫れているといわれ、いろいろの病院で検査を受けてましたが、大腸がんとその肝転移ということになりました。手術してもダメそうなので、手術はしたくありません。」

年に数回来院される患者さんですが、肛門出血を訴え坐薬を出したこともあった。その時検査を勧めたが、受けなかった。など次々と思い出し、もっと強く勧めればよかったなど後悔の念が起こった。
「そうですか、それは大変でした。私もまいったな。ターミナルケアなどというのはもっと先のことだと思いますが、やらせていただきます。それでも大腸がんを切除して、人工肛門をつくることか、肝臓転移に対してもある程度処置をした方が良いと思います。その後抗がん剤など使わずに緩和ケアでゆきましょうか。」

さんざん悩み、家族と話し合った末に、来院されたMさんとの話し合いは、率直に、スピーディーに進んだ。

同じ様な患者さんを何人か手がけたが、こんなあけすけなケースは初めてだ。

今年の8月、ターミナルケアを終えたTさんもやはり大腸がんだった。

お腹の調子がおかしいと、来院されたTさんを上行結腸がんと診断したのは、平成8年2月初めだった。近くの病院で手術をしていただいたが、幸い遠隔転移はないということだった。ご高齢なうえ、もともと小柄な方なので、病院の主治医や家族と相談し、抗がん剤を使わないで経過を見ることにした。

6ヵ月は良好に経過したが、平成9年9月初め、左胸部痛を訴え、胸部レントゲン検査で、左右の両肺への転移であることが確認された。がんの告知は手術前にしてあったので、本人をまじえ家族と良く相談した結果、今後は緩和ケアのみで在宅ケアを行うと方針を決めた。疼痛は鎮痛剤、麻薬などでコントロールすることができた。

それから約1年間、Tさんは家族の介護のもとに多くの友人、親戚に囲まれおだやかな日々を過ごした。
臨終が近くなった頃には、患者さんと家族と私達の間で深い心の交流を交わすことができた。手術後1年8カ月、割合良好な状態を保つことができたが、期間が長かったので、精神的な面でのケアが難しかった。


以前経験した膵臓がんの患者さんは、根治手術ができなかったこともあって、バイパス手術だけやって、あとは緩和ケアだけを行った。この人もおもったより良好に経過した。

私は自分の医院で進行がんを発見した時には、発見した時点で、ターミナルケアを含めた診療方針を決めるようになってきた。

これまでは進行がんで根治手術はむずかしいと思いながらも、患者さんを病院に送ってきたが、病院では根治療手術に近いことをやって、抗がん剤の投与を受け、帰って来ることが多かった。そういう人は手術後ずっと具合が悪く、1年位で死亡することが多かった。

検査により病気を診断して病院に送り、いろいろやったほうがうまくゆかず帰って来る、そこでターミナルケアに入る、という従来のやり方では、その間に患者さんに医療不信を植え付けてしまい、ターミナルケアがやりにくくなる。

進行がんの患者さんでも、できるだけ侵襲の少ないバイバス手術などで、腸閉塞は避けるなど最低の条件を確保して、抗がん剤を使わないという方法をとると、術後3カ月〜6カ月位は良い状態を保つことができることが多い。その後は緩和ケアに移行するわけだが、良い状態がしばらくあるということが緩和をスムーズに運ぶ。

治療方針を決める際に、ターミナルケアまでを頭に入れておくことが大切だ。


これまでがんのターミナルケアでは疼痛の緩和が主な課題とされてきましたが、緩和ケアの技術の進歩によって、経口剤や坐薬などでほぼコントロールすることができるようになってきました。

最近では、患者さんと家族の精神面でのケアが最重要視されてきています。私の場合でも、往診に行くと、身体を診察するのは僅かな時間で、ほとんどはいろいろな話をして過ごしています。その間に患者さんの心境や家族の気持ちを感じ取るよう心がけています。

患者さんは、毎日死と向き合って暮らしているので、いろいろな過程を経ながらも、ほとんどの人が最後には澄み切った心境に達します。
「死を受容した」というか、「悟った」という境地なのでしょう。
臨終間近になってここまで到達する人が多いようです。
患者さんがこの状態に達すると、家族も医療スタッフも、すべての人の心が通い合ったような、不思議な雰囲気が醸しだされます。
これが患者さんの臨終でクライマックスに達して、その後に家族のなかには、さわやかな達成感と新しい連帯感がのこされます。
患者さんを中心に家族や医療スタッフが一丸となって、数ヶ月の間苦しみや死と対峙し、神秘的ともいえるようなクライマックスを迎え、終了する。こういうターミナルケアは、参加するすべての者に大きな収穫をもたらします。

みのりあるターミナルケアを行うためには、医師がその成果を信じて、患者さんと家族に合ったターミナルケアをデザインして、患者さんを含めた参加者をうまく導いていかなければなりません。
その気になってみますと、自然に会得できる程度の技術ですが、医師がその成果を知っていることがポイントになります。

がんなどの不治の病でターミナルケアに入る、ということは患者さんにとって、その家族にとって、たいへん不幸な出来事で、また医療スタッフにとっても気の重い事でした。
「死に直面する」という極限状態にあることを、うまく生かしてターミナルケアを行うと、ほとんどの患者さんは精神的に高い境地に達するようです。
その時にこれに参加したすべての人が、深い満足感を味わうことができます。いつも大成功するわけではありませんが、だいたいは良い結果を産んでいます。
医師がその成果を信じて、患者さんに合ったターミナルケアをデザインすることが大切です。




Medical computer Network(平成15年8月)

◆指標◆

4,みのりの多い在宅ターミナルケアを

足柄上医師会  奥津紀一

 ターミナルケアをうまく進めるためには、一般的在宅ケアに対するテクニックと緩和ケアに当たっての薬剤の知識があれば十分ですが、みのりあるものとするためには、医師をはじめとした医療スタッフの適切なリードが大切です。 

がんなどの不治の病を告げられるということは、病人やその家族にとって始めての体験です。これからどうなるのか、どうしたら良いのか大変不安のはずです。緩和ケアの方法や患者さんのケアの方針について説明し、よく話し合い不安を少しでも解消するのがまず第一歩です。よくお話をしてその不安をとり除くようにします。さらに、実際のケアを進めながら、患者さんを中心に関係する人達がお互いに理解を深めてゆき、死を直前にした時には患者さんの心境を共感できるところまですすめられるよう努力します。

 ターミナルケアがうまくゆきますと、患者さんに安らかに逝っていただくことができるとともに、介護にあたった家族や医療スタッフも、深い感銘を受け、達成感、満足感を感じることができます。

足柄上地区のターミナルケアの現状

 私の属する足柄上医師会は会員77名で神奈川県西部の一市五町人口11万の地域をカバーしています。この地域では以前より在宅医療が良く行われ、基幹病院の県立足柄上病院も在宅医療患者を良く対応してくれています。また、ホスピスケアからみると、在宅医療、訪問看護ステーションなどでよく対応しているし、地域内にピースハウスという本格的なホスピスもある。また、県立病院でこの6月より緩和ケア病棟を開設するということで、患者にとってはあらゆる選択肢があるという恵まれた環境にあると思われます。

奥津医院のターミナルケア

 常時20〜30名の在宅ケア患者さんを診療していますが、ターミナルケアと考えられる患者さんは1〜2名です。

 在宅医療が制度化された平成4年よりの当院のターミナルケア終了者の統計では、

  ターミナルケア実施患者総数   91(平成4年4月〜平成13年3月末)

    悪性腫瘍によるもの     19

    老衰、脳卒中その他     72

大部分(3/4)は脳卒中や老衰で在宅医療を続けていてターミナルに至るものです。その他の約1/4が悪性腫瘍の患者さんで、ほとんどが病院から退院すると同時にターミナルケアに入ります。このグループの在宅ターミナルケア(ホスピスケア)に特別な意義を感じています。

 ケースを重ねるうちに、ある程度のスタイルができてきましたので、それをご紹介して、皆様よりのご意見を頂きたいと思います。

ターミナルケアをデサインする

 私は自分の医院で進行がんを発見した時には、発見した時点で、ターミナルケアを含めた診療方針を決めるようになってきました。

 これまでは進行がんで根治手術はむずかしいと思いながらも、患者さんを特に注文つけずに病院に送ってきました。病院では根治療手術に近い手術をやって、抗がん剤の投与を受けて、帰って来ることが多かった。そういう人は手術後すぐに具合が悪くなってしまい、1年位のうちにほとんどの方が亡くなってしまいました。

 病気を診断して患者さんを病院に送り、そこでいろいろやったがうまくゆかずに帰って来る、それからターミナルケアに入る、という従来のやり方では、その間に患者さんに医療不信を植え付けてしまい、ターミナルケアがやりにくくなります。

 進行がんの患者さんでも、できるだけ侵襲の少ないバイパス手術などで、腸閉塞は避けるなど最低の条件を確保して、抗がん剤を使わないという方法をとると、術後3ヶ月〜6ヶ月位は調子の良い状態を保つことができることが多く、その後、緩和ケアに移行しても、良い状態がしばらくあったということが緩和ケアをスムーズに運びます。

 治療方針を決める際に、ターミナルケアまでを頭に入れておくことが大切なのです。

 みのりあるターミナルケアを行うためには、医師がその成果を信じて、患者さんと家族に合ったターミナルケアをデサインして、患者さんを含めた関係者をうまく導いていかなければなりません。その気になって何回かやってみますと、自然に会得できる程度の技術ですが、医師がその成果を知っていることがポイントになります。 

在宅ターミナルケアの実際

(1)オリエンテーション

在宅でのターミナルケアは、自宅という患者にとって最も居心地の良い場所で、家族、知人に囲まれながら、看とりを行うことで、本人が快適に過ごせるということを主な目的としています。われわれケアチームは、そのサポートを充分に行う用意のあることを患者と家族に良く説明します。患者さんが急死したり、朝起きたら亡くなっていたなどということが起こっても、それは、むしろケアがうまく行ったことになるのだということも話し、家族が不安なく介護できる状態を作りだすようにします。

 悪性腫瘍の患者の場合は、病名の告知がしてあることが大切で、告知されてないと最後まで嘘をついてゆくことになり、患者と周囲との真心の交流は起こらず、在宅でターミナルケアを行った意義がほとんどが失われてしまいます。

(2)ターミナルケアの実施

 一般の在宅ケアと変わりなく、医師、看護婦(医院)訪問看護婦(訪問看護ステーション)、保健婦、ヘルパーが一人の患者毎のチームとなり、家族と共にケアにあたります。医師の往診は1回/週程度で、疼痛緩和、補液、種々のカテーテル管理、褥創の予防、処置などが主な仕事となります。疼痛緩和としてはボルタレン坐薬、MSコンチン、アンペック坐薬をおもに使っています。

 患者さんのターミナルケアを在宅で、皆が協力して行うことは、患者さんとって喜ばしいことですが、介護や医療にあたる者も、そこから大きな収穫を得られることを、皆によく話しておきます。

(3)臨終時

 臨終が近くなると日に数回往診することも出てきます。臨終時には医師、看護師が立ち会います。その後家族、親戚に経過を説明し、家族の労をねぎらうことも大切です。

また、死後の処置などの役割分担もはっきりさせておくことも必要です。

症例

(1)82才女性 大腸がん

  平成8年12月 腹痛を訴え当院受診。注腸レントゲン検査で上行結腸がん。

近くの総合病院にてすぐ手術。進行がんだったが、遠隔転移はなかった。高齢の上、小柄な人なので病院の主治医や家族と相談して、抗がん剤を使わずに経過をみることにした。

 平成9年9月 6ケ月は良好に経過したが、左胸部痛を訴え、胸部レントゲン検査で、左右の両肺への転移であることが確認された。がんの告知は手術前にしてあったので、本人をまじえ家族と良く相談した結果、今後は緩和ケアのみで在宅ケアを行うと方針を決めた。疼痛は鎮痛剤、麻薬などでコントロールすることができた。

 それから約1年間、Tさんは家族の介護のもとに多くの友人、親戚に囲まれおだやかな日々を過ごした。

 臨終が近くなった頃には、患者さんと家族と私達の間で深い心の交流を交わすことができた。 手術後1年8ヶ月、割合良好な状態を保つことができたが、期間が長かったので、精神的な面でのケアが難しかった。

(2)68才男性  直腸がん

  平成10年8月 「直腸がんで肝転移と診断されたのでターミナルケアをしてくれ、むだなことは何もしたくない」と言って来院。聴いてみると肛門出血で病院に行き、がんと診断されたということだった。何もせず1ケ月たつうちに、排便が困難になってきた。

 9月末 人工肛門造設、ターミナルケア開始。

 11月末 家族の負担が重く、本人も苦しむ姿を見せたくない様子で、ホスピスへ入院

 12月 感動的な手紙を残して死亡。

(3)43才女性 膵臓がん 

 平成7年7月  かぜ様症状で来院、背部痛も訴える、超音波検査にて膵臓がん。

 7月末 バイパス手術。 11月疼痛緩和ケア開始。 12月食べられないことを強く気にするためI.V.H.開始。

  平成8年3月周囲の者にいろいろなメッセージを残し。希望した教会の建設の音を聴きながら亡くなった。幼い子供に大きくなったら読むように手紙を残していた。

(4)74才女性 大腸がん

 平成8年4月 下腹部の痛みと膨満感で来院。注腸レントゲン検査にてS字状結腸がん

 4月末 人工肛門造設のみの手術。

 9月食欲不振、倦怠感強くなり点滴開始。

 10月皆にあいさつを残したあと、大勢の孫たちがつぎつぎに呼びかけるなかに息を引き取った。

(5)83才男性  前立腺がん

  平成1年 大学病院にて前立腺がんと診断され、ホルモン療法を始めたが、うつ状態になり、十分治療できなかった。その後2〜3の病院にときどき受診していた。

 平成8年4月  近くの病院にてリンパ節、骨盤に多数の転移を診断され、在宅ケアを希望して当院に紹介される。8月より疼痛寛和ケア開始。10月一時ホスピス入院。

 12月次第に衰弱し、12月21日死亡。大寺の住職でお寺で在宅ケアを行った。また亡くなる3日前まで揮毫していた。

(6)77才男性 喉頭部がん

  平成11年3月 嗄声、咽頭喉頭部違和感あり、病院にて甲状腺、気管、食道を巻き込んだがんと診断される。食物が気管に入り、窒息状態になったので、I.V.H.を入れて退院。

 6月より当院にて在宅ケア開始、同時に訪問看護ステーションより訪問看護を受ける。

これまでの日課を淡々とはこんでいた。

  12月10日頃より心身の不調を訴える。

 平成12年1月20日 子供、孫達を集め、「良い一生が送れた。協力して家を守ってくれ」と言い残して息を引き取った。

(7)90才男性 胃がん

 平成11年7月 食欲不振にて病院を受診、胃がん末期と診断される。在宅ケアを希望して、当院に依頼される。ほぼ輸液のみで対応。

  8月31日死亡。高齢で老人性痴呆もあったが、以前より主たる介護者の妻を殴ることが多く。ターミナルケアに入ってからも、気に入らないと殴っていたらしい。こういう状態では在宅ターミナルケアをやっても本人のためにしかならない。

(8)52才女性 乳がん

 平成8年右乳房の腫瘤に気付くも民間療法で過ごす。病院を受診したときには、がんは大きくなり、対側の皮膚、腋下リンパ腺その他に拡がり手術できない状態だった。

 平成10年 他院に移り化学療法を受けたが効果無かった。

 平成11年3月 当院および訪問看護ステーションにて在宅ケア開始。胸部は全体に潰瘍化し全く悲惨な状態だった。慰める術もない感じだった。訴えに耳を傾け、疼痛寛和に力を注いだ。訪問看護婦は隔日に胸部全体の潰瘍の処置という大変な仕事をしていた。家庭の介護力がないため、6月に入院となった。その後10月4日ホスピスにて死亡。

 このケースはあまりにも悲惨で、本人を勇気づけることもできなかった。

在宅ターミナルケアの意義

 患者さんにとって自分のなれ親しんだ環境の中でターミナルを迎えることは、だれもが望んでいることで、睡眠、食事など気ままにできることも大きな恵みとなります。

 家族や友人と濃厚なコミュニケーションがとれることが重要な意味を持っています、死にゆく人々にとって孤独が最も恐ろしく、辛いことだといわれています。

 病名の告知を受け、ターミナルケアに入ると、最初はとまどいが強く無気力状態となる者が多いいですが、次第に気持ちが落ち着いて、心が開かれて来ます。死期が迫ると更に研き澄まされた心境となって、周囲の者と心が通い合いすばらしい時間を持つことができることが多い。

 在宅でターミナルケアを行うことは、家族にとって大変な負担となりますが、亡くなってゆく人と心が通じ合えたということと、できるだけのことをしてあげることができたということから、達成感や満足感が生まれます。医療スタッフも患者や家族と共に喜び、悲しみ、生死の問題を考えながらケアを行う間に、多くのことを学んでゆきます。 良いケースを積み重ねることによって、ターミナルケアをより質の高いものへと創りあげてゆくことができるようになります。

  いろいろな人達の献身的援助を受けながらも、次第に衰弱し死期を悟った時、多くの人は精神的ステイタスを一段高め、その言動が周囲に深い感動を呼ぶようになります。このようなすばらしい成果をあげるためには少しの「嘘」も許されません。がんの告知や手術の結果など正確に告げられていることが必須のこととなります。

在宅ターミナルケアの提起するもの  ―医療の新たなる分野の展開―

 私たち医師は「患者の死」を病気に対する医療の敗北と考えて、患者がターミナルステージに入ったと感ずると、スタッフの診療意欲が急速に冷めてゆくことをしばしば経験してきました。こういうことからターミナルケアを医療の後始末的に考えている医療関係者も多いのが現状です。

 ここ数年、ターミナルケアに本腰を入れて携わってみると、この中に大きな新しい医療の分野の存在することに気付きました。これまで医療は「生命を維持すること」をテーマに展開され発展してきましたが、医療技術の進歩にともない、病人のQUORITY OF LIFEが高められてきたか疑問を感じる面もでてきました。人はいつかは死ぬのであり、そこにいつまでも「生命を維持すること」をテーマにした医療をあてはめてゆくことには矛盾があります。

人が死んで行くことを正面から見据えた、「死を迎える」をテーマにした医療が必要なのです。人の死とは、QUORITY OF LIFEとは何か、真剣に考え、患者、家族、ケアチームが一体となって、ターミナルケアをうまく行うと、患者さんの精神は「悟り」のような境地に達し、それにともないお互いの心のなかに深く感じ合うものを得て、臨終を迎えることができます。このときの感動や経験は、医療の基本とは何かを感じさせます。

みのりあるターミナルケアを重ねることによって、医療の世界の幅を広げ、深みを増すことができると感じています。

 



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